すがや・・・~鎧に魅せられて~

タイトルの通り私は日本の鎧がとても好きです。歴史が大好きです。

甲冑が豊橋市有形文化財に指定されました!!

2025年の3月26日付で「勝糸威腹巻具足」が豊橋市の有形文化財に指定されました。6月8日までこの鎧を豊橋市美術博物館で見ることが出来ると聞き、さっそく見に行きました。https://www.asahi.com/articles/AST4Y4JQJT4YOIPE00WM.html

なんということでしょう・・!!

状態が非常に良く美しいでした。大河内松平家伝来の具足との事です。

兜は黒漆塗の阿古陀形筋兜(あこだなりすじかぶと)で、鍍金の覆輪がかかる。

(マニアックなのを承知ですがぜひ読み進めてください!!💦)

すみません、すがやにとってはテンション上がりまくりです。

と言うのも、、

私が鎧を好きになった話しをします。

私の父親の実家は静岡県の細江町中川という所です。

父の実家、祖母の家のすぐ近くに「祝田の坂(ほうだのさか)」という坂がありました。

父から

甲斐の国(山梨県)から武田信玄が浜松までやってきて、浜松城にこもる徳川家康をおびき寄せるために武田軍はあえて坂を下り、

家康にとって有利な状況を作り出したところ、家康は坂の上から奇襲すれば戦に勝てると考え、浜松城から出陣して罠にかかった。

武田軍はすぐに下った坂を反転し、坂をかけ上り、三方ヶ原台地で魚鱗の陣を組んで待ち構えた。徳川軍は鶴翼の陣で対峙。武田軍が都田川で拾った石を投げ挑発して戦が始まり、武田軍の騎馬突撃を中心とした戦法で勝利した(諸説あり)」

と祖母の家に向かう車中で何度もこの三方ヶ原の戦いの話を聞いたことで、戦国時代に関心を持ちました。

ねえ?すがやにとって胸熱なの伝わりますか☺️???

まだあります。

母方の祖父が

「じいちゃんの家は武田軍の武将「小幡家」が先祖だよ」と聞いたことで、私は武田信玄にますます惹かれました✨

えええええ!!!!武田軍の武将!?!?!?!?

あの武田!?!?!?!

小学校の3年か4年生くらいの時だったと思います。

当時の私は胸がいっぱい。

マンガの「日本の歴史」などを読みました。みんな読んだことあるやつ。

その後、新田次郎さんの著書「武田信玄」を読みました。

1991年の元旦にTBS新春ドラマの「武田信玄(信玄役は役所広司さん)」を見てとても興奮しました。冬休みに家族で長野県に旅行に行きました。川中島の戦いの地を訪れました。そこにレプリカだったと思いますが甲冑が飾られていて、それを見た瞬間にカッコいい⭐️と思いました。 

うんうん、幼い私からしたらもうそれはそれは胸が熱くなるばかり。

さて美術館の話に戻り、

鎧の面頬(めんぽお、顔と首を守る防具)のアゴの箇所には物によっては在銘(作者の名前が記されていること)があるので、のぞき込んでみたところ、はっきりとは見えませんでしたが、在銘があるのがみえました。

上記写真の傷のような箇所です。

このアゴの下の位置に作者名を刻む事があります。

作者名を美術博物館の職員に尋ねたところ、豊橋市二川本陣資料館の鶴田さんならわかるとのことで、電話をしました。アゴ下の銘は「明珍式部紀宗介」との事でした。

甲冑の世界ではかなり有名な方です。1642年ー1726年(享保11年に85歳で死去)ちなみに甲冑師の主な流派は、明珍(みょうちん)派、早乙女派、春田派、岩井派、雪下派が知られます。(正直、何派などは詳しく知りません😢)

中学生の頃に貯めたお小遣いで、額に当てる防具、鉢金を買いましたが、親から中学生がそんなもの買うんじゃないと怒られました。怒られるというか、心配だったのかも。。そりゃそうかも、、

郵政に入社してから鎧をもっと知りたいと思い、甲冑・刀剣史学研究家として知られる井伊家分家・与板藩18代の井伊達夫(旧姓:中村、井伊美術館館長)さんと交流するようになりました。井伊達夫氏は井伊家の赤鎧を主に収集・研究されている方です。

日本の甲冑の魅力は、鉄や漆、威糸だけでなく、鹿の角や熊やヤクの毛、クジャクの羽など様々な動物の一部を使用したり、兜の前立ては、蝶々や龍、月や日輪の形、ムカデ、タコやエビなど本当に様々な物があり面白いです。

兜もサザエや巻貝、サルの顔、茄子の形をした物など「変わり兜」と呼ばれる面白い物もあり、戦争のための道具である事は否定できませんが、その多種、異形で豪華で精巧な甲冑の魅力に取りつかれてしまいました。

珍しい甲冑を着用する事は当時の侍の自己顕示欲を示す役割を果たしていただろうし、井伊家のように真っ赤に染めた鎧に統一した軍団を見せる事により、相手の戦意を喪失させる効果もあったと言われています。

豊橋市は吉田藩というそれなりの大きな藩があったにも関わらず、吉田藩に由来する甲冑や刀剣、武具類を目にすることがあまりできない市です。

吉田藩主がたびたび入れ代わったこと、豊橋空襲で多くが焼けてしまった事が原因であると言われる反面、コレクターさんが持っている、また市場には出回っているとも聞きます。

何よりも吉田藩にゆかりのある武具などを集めようという動きが弱かったとも考えられます。私は歴史資料館を作り、吉田藩由来の甲冑、刀剣、武具類を市民に呼びかけ収集し、そこに展示出来たらもっと豊橋市の歴史的な魅力が高まると考えます。

貴重な作品、ぜひ皆様も見ていみてはいかがでしょうか。https://toyohashi-bihaku.jp

最後まで読んでいただきましてありがとうございました✨

菅谷竜